日本初の現代影絵の専門劇団かかし座~飯田周一さんインタビュー②~

日本初の現代影絵の専門劇団である「劇団かかし座」の飯田周一さんに引き続きお話を伺います。お話を伺うことになったきっかけは、日伊櫻の会が企画・運営した、2021年秋の子ども体験塾「イタリア・ジャパン・キッズシアター」(東京都武蔵野市・三鷹市・小金井市・国分寺市・国立市の5市共同事業実行委員会主催)です。子どもたちが芸術に触れる機会を提供することを目的として、国内外の劇団を招聘しました。「劇団かかし座」は、影絵劇団として組織や活動、パフォーマンスにどのような特徴があるのか、飯田さんに語っていただきます。
かかし座が作る影絵劇の特徴
― 今回、飯田さんにはご出演いただいただけでなく、プログラムの調整や、舞台監督といった制作面でもご担当頂きました。出演と制作、どちらも携わっていらっしゃるのでしょうか?
かかし座には、舞台部、企画営業部、経理部、美術部があり、僕は現在、舞台部と企画営業部とを兼ねています。俳優としての出演については、今は幼稚園や保育園、小学校で上演している作品、また影絵のワークショップも行います。また、かかし座は海外でも公演しますが、ヨーロッパと韓国に関しては僕が担当しています。舞台で演じる立場としての経験が長いのですが、現在は制作の仕事も中心的に担っていますね。劇団の事業範囲を今後広げていかなければならないと考えており、そのような中で、僕のように複数の業務を兼務する人たちは増えていくと思います。

― イタリアの劇団ラ・バラッカも、俳優が制作を行ったりしています。出演だけでなく照明なり音響なりの制作を経験すると、演技することにおいても良い影響が多々あるとラ・バラッカからは聞いたのですが、飯田さんはいかがですか?
それは同じだと思います。特に影絵の場合は、舞台上で影絵を作る時に使用する絵(切り絵)を作ったり、人形を作ったりする制作と、パフォーマンスそのものが切り離せません。また舞台においては、影絵を映すスクリーンの後ろに立つことと、スクリーンの前に立つこととでは、必要となるスキルが全然違います。スクリーンの後ろでは、自分の手や身体、道具を使って影絵を作る。前では観客の方々に対して演じる部分が中心です。ですからその両方を覚えておかないと、舞台全体をうまく作り出せません。
― なるほど。舞台に立つ上では、様々なスキルが求められるんですね。ここで、飯田さんがかかし座に入団された経緯を教えていただけますか?
入団は1992年、19歳の時でした。ちょうど30年前のことです。アニメーションの制作学校に行っていまして、そこで求人票を見たのが一つのきっかけです。求人票には、影絵劇の制作や出演とありました。僕は最初、脚本を書きたかったんです。学校でも制作的な部分、演出や脚色などを勉強していましたから。ですが入社して3ヶ月くらい経った時、急遽出演者が数名辞める事態があり、ちょっと出てみろ、と言われて、初めて舞台に立つことになりました。インドの民話で「黄金のカモシカ」という影絵作品です。
実はこの「黄金のカモシカ」という作品は、現在のかかし座のスタイルに変わり始めた頃の作品なんです。それまでは、スクリーンの後ろで影絵の人形を操って、表に出るのは語りだけでした。けれどこの作品では、出演者がスクリーンの前で役者のように演技する部分もあったんです。演じることも嫌いではなかったのでやっていたら、気付いたらずっと今まで続けています。

― 演劇的な要素もあるかかし座の影絵は、飯田さんが入団された頃に始められたスタイルだったんですね。
はい。そしてこのスタイルは、現在ではかかし座の影絵劇の特徴になっています。他の影絵劇団では、多くの場合、出演する人はほとんど話しません。録音した音楽を流して、それに合わせて人形を操って影絵を上演することが多いんですが、僕たちの場合は俳優が生で声を出して演じます。
うちの後藤はよく、「舞台では作品を見るのではなく、その人間を見に来るんだ」と言います。かかし座では、俳優一人一人がしっかりとした魅力、力をつけていることが必要になります。僕たちは影絵の劇団ではあるのですが、歌唱をはじめ、ソルフェージュ、台詞、クラシックバレエの研修もあるんです。歌舞伎や狂言、現在では剣舞の練習もしているんですよ。

― 影絵の劇団なのに、様々な研修を取り入れられているんですね。今年で飯田さんは入社30年とのことですが、様々なご経験をされてこられたと思います。印象に残っていることはありますか?
本当に、いろんな経験をさせてもらいました。日本全国ほぼすべての都道府県、また市町くらいまでは廻って、公演やらせてもらったのではないかと思いますね。海外も、15〜16ヶ国くらい行かせてもらっています。過去には3ヶ月ずっと旅で出っぱなしということもありました。
僕の入社前は、半年くらいずっと旅に出ていることもあったらしいです。旅先で営業して、翌日の仕事を取ってくることもあったそうですよ。校長先生に話に行って、明日いいよ、じゃあ一人いくら?400円、500円でいいの? といったやり取りをして。それだけ時代がおおらかだったんでしょうね。いい意味でも悪い意味でもどんぶり勘定で公演して、どんどん旅が長くなっていたと聞いたこともあります。
― その場で縁が次から次へと繋がっていくんですね。今だとなかなか考えられないですね。
今から思うと、そうやって地道な活動をしてきたから、現在があるのかと思います。僕らかかし座もそうですし、ひとみ座さんとか、プークさん(プーク人形劇場)とか、様々な劇団が過去に地道な活動をしてきたから、今の人形劇や舞台劇、影絵劇の基盤があるのだろうなと。子どもたちの文化芸術の下地が作られているのかなと思ったりします。(つづく)
いいだ・しゅういち
1992年、劇団かかし座入社。俳優として、「星の王子さま」、「宝島」、「オズの魔法使い」等出演。手影絵作品「Hand Shadows ANIMARE」の制作より関わり、20カ国以上での公演実績がある。現在は企画や制作にも関わる。