「人は一人では学べず、グループの中にいて初めて学ぶ」レミダの取り組み④

イタリア、エミリア=ロマーニャ州には、地域の廃棄素材を活用して、子どもの教育素材とする「レミダ」という取り組みがあります。そこでの働き方は、幼児教育の理論である「レッジョ・エミリア・アプローチ」と同じ考え方に基づいています。世代や経験の隔たりを越えて人々がともに成長する「ラーニング・コミュニティ」に基づく働き方や組織文化について、お話を聞きます。
/ 取材・文 多田 亮彦
―― 民間企業と、レミダやレッジョ・チルドレンとの働き方の違いについて、もう少し詳しく教えてください。
私たちの働き方は、レッジョ・エミリア・アプローチが教育に活用している学習理論と同じ考え方に基づいています。レッジョ・エミリア・アプローチは、社会構築主義に基づいています。人は一人では学べず、グループの中にいて初めて学ぶことが出来るという考え方です。一人では、学べることは限られてしまうけれども、グループの中にいれば、自身や自身の周りにあるものについて、一人よりもより深く学ぶことが可能になると考えているのです。保育園や学校で子どもたちと接するとき、子どもたちには小さい子も大きい子もいますが、彼・彼女を個人としてだけでなく、集団においての個としても見ています。その見方は、働き方にも当てはまります。私たちは、人と仕事をするときは、常に多くの人が助けてくれ、さまざまな視点を提供してくれると考えるのです。確かに、この考え方を実際に行うのは、容易いことではありません。なぜなら、何かを決めたり実行したりするのに、より多くの時間がかかるからです。外の世界が急速な速度で変化しているのとは対照的でもあり、難しさを感じる時もあります。それでも、私たちはゆっくり進みます。それが、自分たちの仕事の質を高めてくれると思っています。
―― 私は日本の大きな組織でも働いているのですが、経験や世代の隔たりを超えて、様々な視点から学ぶことは簡単ではないと感じます。30年、40年と働いている人たちと、つい先日会社に入った新人や中途採用の人が、お互いに学び合い、教え合うというのは、実際には難しいことに思えるからです。レッジョ・チルドレンやレミダでも同じような状況があると思いますが、どのようにして協力的な環境を作るのですか?
もちろん、私たちにもヒエラルキーがあります。会長が最終的な決定を下すわけですからね。ですが、重要なのは、彼女がどのような人の意見にも耳を傾けるということです。私たちの間では、プロジェクトに自分が参加していなかったとしても、意見を求められることはよくあることです。レミダで働き始めた初日のことを、私はよく覚えています。私は何も知らなかったので、いわゆる新しい仕事を始めたばかりの人たちのように、オフィスに着いたら何も言わずに頼まれたことをするのだろうと思っていました。しかし、初日からたくさんの会議に参加し、進行している各プロジェクトに対する意見を求められたのです。私は「わからない」と言い続けなければなりませんでしたが、彼らは私を会議へ参加させたがっていました。この経験はとても印象に残っています。
また、新しいプロジェクトを立ち上げるとき、私たちは決して自分たちだけでは始めません。建築家やシェフなど、他の分野の人にも参加を依頼します。視点が離れている人が参加した方が、アイデアがより発展すると考えているからです。聞いたことをすべて実行するとは限らないですが、多くの要素を持つことで、アイデアが豊かになると考えています。
―― とてもおもしろいエピソードですね。経験豊富な人がその分野で経験のない人の話を真剣に聞くのは、容易いことではないように思います。
それは信頼の問題です。他の人の視点を信頼することが、重要なのです。
「レッジョ・エミリアのコミュニティは学びあう集団であり、人々は共に成長しなければならない」
―― レミダやレッジョ・チルドレンがそのような組織文化を持っているのはなぜだと思いますか?
レッジョ・エミリア・アプローチだけでなく、レッジョ・エミリアの教育システム、そして市行政のミッション自体が、長い間「ラーニング・コミュニティ」となることに置かれています。これは、コミュニティとは、人々が共に学び合うためのもの、という考えです。レッジョ・エミリアの市長は、「レッジョ・エミリアのコミュニティは学びあう集団であり、人々は共に成長しなければならない」と言っています。そして、レッジョ・チルドレンも、保育園や学校も、また働く保育士、教師の皆さんも、同じように考えています。幸運なことに、過去50年間、レッジョ・エミリア市の政権を担う政党は同じです。つまり、この街は長年、左派の政党によって運営されてきているのです。その間、このミッションが変わることはありませんでした。そのため、自治体政府は教育に投資しているのです。
―― 今のお話は、レッジョ・エミリアをさらに特別なものにしますね。日本人の視点から考えれば、左派政党による50年間の政権は信じられません。過去40年間に渡る世界での新自由主義の嵐の中で起こったことだと思えば、なおさらです。
確かに、この状況は他にはない、とてもユニークなことだと思います。しかし、ここレッジョ・エミリアで培われてきたあり方から何かを得て、それを、それぞれの方が自分の暮らす地域や、また直面する現実で活かすことは出来ると思っています。レッジョ・エミリアと同じ前提がなかったとしても、保育園や学校のクラス内容が変わったり、運営のされ方が変わったという事例は、たくさんあるからです。たとえそれが小さなことであっても、きっと状況を変えていく助けになると思います。