「子どもたちは権利を持った若い市民」レミダの取り組み②

感性を重んじる幼児教育「レッジョ・エミリア・アプローチ」で有名なイタリア、エミリア=ロマーニャ州。企業や家庭から出される廃棄素材を活用して、子どもの教育素材とする取り組み。それが、レッジョ・エミリア市の「レミダ」です。このようなプロジェクトがどのようにして可能になるのか、レミダでトレーニングプログラムを担当するエロイザ・ディ・ロッコさんにお話を聞きます。
/ 取材・文 多田 亮彦
―― レミダ誕生には3つの組織が関わっているということですが、自治体(レッジョ・エミリア市)がなぜレミダを作ろうと思ったのか、その背景を教えていただけますか?
なぜレミダがこの街で生まれたのか。私たちはいつも、レミダはレッジョ・エミリア市の保育園の中に、その誕生以前から存在していたコンセプトだと考えています。レミダが誕生する前から、保育士たちは、各家庭や親が働く仕事場から材料を保育園に持ってくるように親たちに頼んでいました。販売されている教育用教材は、子どもたちの活動に合わせて作られており、普通、使い方の説明書が付いています。そして、多くの場合、その教材の使い道は一つしかありません。しかし、オフィスや生活の場、特に産業界の資料は、説明書がなく、教育の場における使い方も決まっていません。いろいろな解釈が可能なのです。このような素材は想像力をかきたてる上で、非常に強力なツールであり、保育士たちもそれを知っていたので、素材を持ってきてほしいとお願いしていました。
ある時、レッジョ・エミリアの自治体は、イーレンとレッジョ・チルドレンと共に、レミダを開くことを考えました。各家庭や企業から出される廃棄素材を一箇所に集めれば、保育士たちが常に親たちに頼まなくても、必要なものをレミダから持ち帰ることが出来ると考えたからです。レミダの誕生当初はこのプロジェクトはとても小さくて、協力してくれる企業やお店の数も少なかったですが、今では100以上の企業がこの活動に参加してくれています。協力している企業や店舗は、週に一度、材料を提供するためにレミダにやって来ます。そして、現在ではとても多くの保育園や学校がレミダを利用してくれています。産業界からレミダへ、レミダから保育園や学校へと、材料の循環が回っているのです。

オフィスや生活の場、特に産業界の資料は、説明書がなく、教育の場における使い方も決まっていません。いろいろな解釈が可能なのです。
―― 週に1回ですか。それは、企業にとっても大変な作業のように思えます。
最初は企業を説得して、素材を提供してもらうことに苦労しました。なぜ私たちが、彼らの素材に興味を持っているのかについて、企業側が理解できなかったんです。でも、産業用素材が子どもたちの手に渡り、子どもたちが思いもよらない使い方で素材を全く違うものに変化させる様子を見せると、企業側もとても興味を持ってくれるようになりました。今ではこの地域で皆が知ってくれるプロジェクトに成長して、提供できそうな素材があると、企業から連絡が来るようになりました。
ちなみに、企業はこのサービスから何の利益も得ていません。またこれは正直に伝えなければいけないことですが、企業が日々廃棄している大量の素材に比べれば、残念ながらレミダに来る素材は、微々たるものだということも、合わせて言っておかなければなりません。
―― 日本では、レミダを作るための予算やリソースを自治体が提案することは非常に難しいように思います。レッジョ・エミリア市では、それが現実のものとなりました。その要因は何だと思われますか?
レッジョ・エミリア市は、国際的に広く知られるレッジョ・エミリア・アプローチが生まれた場所です。レミダは、レッジョ・エミリア・アプローチという教育システムの一部なのです。レッジョ・エミリア・アプローチがこの街で始まったのには、歴史的な理由があります。第二次世界大戦後、この地域の女性たちは、貧困から抜け出してより良い生活を実現するために、家に閉じこもるのではなく、仕事に出ることを選びました。そんな女性たちを支えるために、レッジョ・エミリアでは小さな子どものための保育園が生まれたのです。レッジョ・エミリアの人々は、保育園をつくり、子どもたちを学校に通わせることを、政治的な選択であると考えています。レッジョ・エミリアの保育園は自治体が運営しています。私立ではありません。私たちは、子どもたちは権利を持った若い市民だと考えているのです。子どもたちは市民としての教育を受けるために、出来るだけ早く保育園に行く権利があります。このような理由から、レミダはこの街で生まれたのだと思います。レミダが生まれて、これだけの年月をかけて成長してこれたのは、レッジョ・エミリア・アプローチがあったからだと思います。
子どもたちは権利を持った若い市民だと考えているのです。
