【わたしとイタリア】料理研究家・貝谷郁子さん~イタリアとの出会い~
イタリアと縁深い活動をされている方々に、お話を聞く「わたしとイタリア」。今回お話を伺ったのは、料理研究家の貝谷郁子さん。イタリアの家庭料理について長年取材・研究をされてきた貝谷さん。イタリアに関する書籍は数多く、イタリア料理のレシピ本、食を巡るエッセイや紀行文から、旅のためのイタリア語の本まで多岐に渡ります。貝谷郁子さんに、イタリアとの出会いのきっかけ、そしてイタリア家庭料理の魅力についてお話を伺いました。
ーはじめに、貝谷さんのお仕事について、教えてください。
食や料理について取材や執筆をしたり、実際に料理を作ったり、考案したり、新しい食品やメニューを開発したりしています。それに加えて、食についての講演も行いますし、料理の作り方をお教えしたりもします。食に関することであれば、あらゆる仕事をしています。
以前は、料理研究家という肩書きに加えて、フードジャーナリストという肩書きも使っていましたが、フードジャーナリストは、食に関しての取材・執筆が主で、実際に料理を作ったり、考えたりという仕事が入らないので、今は使っていません。
以前、イタリア人の方に私の仕事を説明しましたら、「食の世界360度って書けばいいんじゃないの?」って言われたんです。これはいいなと思って、プロフィールや名刺ではこの文言も使っています。
―貝谷さんは、さまざまな国の料理について取材や執筆をされていますが、特に、イタリアとのつながりが深いと思います。イタリアとの出会いのきっかけを教えていただけますか?
イタリアとの出会いは、本当に偶然でした。大学を卒業して、出版社の編集部門で働いていました。そこで、若い男性向けのファッション総合誌の立ち上げに関わることになったんですが、その頃、外部から海外取材のお話を少しづつ頂けるようになっていました。海外取材の話が来たら、編集長から順番に担当することになったのですが、編集長が創刊してすぐにハワイ担当となり、その次にイタリア取材の話が来て、私が担当することになったんです。イタリア行きを言われた時も、「え、イタリアですか?」ってくらいの気持ちでした。特別行ってみたいとかはなく、ヨーロッパの国の一つという一般的な印象しか持っていませんでした。
―どのような取材でイタリアに行かれたんですか?
ミッレミリアというイベントの取材が中心でした。ミッレミリアとは、イタリア語で1000マイルという意味ですが、これはクラシックカーが公道を走るレースイベントです。戦後にイタリアの公道で行われていたカーレースをリバイバルさせたもので、取材に行ったのは、それがちょうど始まった頃でした。その時は、イタリア語は全く知らなかったので、英語での取材だったんですが、イタリア語の響きがすごく気に入ったんです。私は大学で言語を勉強したので、もともと言葉は好きでした。それに、取材に行った時期が5月で、気持ちの良い季節というのもあり、イタリアの空気や雰囲気が気に入りました。滞在していた間は色々な料理を食べて、もちろん食も気に入りました。いろんな意味で、イタリアが好きになったんです。
―お仕事での出会いがきっかけとなり、イタリアに魅了されていったんですね。
そうですね。それで、次は夏休みの休暇を使って、個人的にイタリアに行きました。せっかく行くのに何も喋れないのはつまらないと思って、イタリア語も独学で始めました。出版社から独立してフリーランスになってからは、真剣に語学を勉強しました。イタリアの方に、食についての話が聞きたいと思ったからです。おじいちゃんやおばあちゃん、またワイナリーや農家の方々にお話しを聞こうと思っても、英語だとほとんどお話しできないですからね。だから、食べ物関係の単語帳を自分で作ったりしましたよ。(つづく)
貝谷郁子(かいたに・いくこ)
和歌山県出身。上智大学文学部卒業。編集者として出版社に勤務の後、フリーランスに。さまざまな分野のエディター・ライターから、フィールドを食文化・料理に絞る。現在は食の世界360°というスタンスで活動。食エッセイ執筆からレシピ開発、商品開発、食育レクチャー、一般向けの料理レッスン、インバウンド向けの食文化料理レッスンなど幅広く手がける。イタリア語・英語を操る。著書は1994 年の1冊目の著書から29年で29冊。食紀行からレシピブック、ルポとレシピの合体本、食を核にした子ども向けファンタジーも。新刊は「パルミジャーノをひとふり〜イタリア旅ごはん帖」(亜紀書房) 「ちゃちゃっとイタリアン」(宝島社)