人生に刻み込まれたイタリアとの出会い~1970年代のイタリア~

人生に刻み込まれたイタリアとの出会い~1970年代のイタリア~


幼児教育、ドラマ/演劇教育、乳幼児/児童演劇を専門に研究されている小林由利子さん(明治学院大学教授)は、20歳の時にイタリアをはじめて訪れて以来、イタリア文化の虜となり、イタリアの乳幼児演劇や幼児教育についての調査・研究を続けてこられました。本誌コムーネでも繰り返し取り上げている劇団ラ・バラッカや、レッジョ・エミリア・アプローチの研究の背景とその興味深さについて語っていただきます。今回は、原点となった1970年代のイタリアの印象について振り返っていただきます。

/ 文・小林由利子、構成・コムーネ編集部

イタリアとの出会い

わたしのイタリアとの出会いは20歳のときでした。亡くなった母が、成人式に着物を買う代わりに、25歳年上の従姉が経営していたクッキング・スクール主催の「イタリア・フランス料理の旅」をプレゼントしてくれたのです。

1970年代後半、まだ国際線は羽田空港からの出発でした。20歳のわたしは、初めての海外旅行でわくわくしながら羽田空港の赤いじゅうたんを踏みしめ、アリタリア航空の飛行機に乗り込みました。機内食で出た、白くて柔らかいイタリアのチーズは、今まで日本で食べていた固いチーズとは比べものにならない程美味しくてすっかり虜になってしまいました。

飛行機は南周りだったので、アジアのいくつもの都市に降り立ち、何時間もかかってローマの空港に到着しました。ローマは、見るもの、聞くもの、触れるもの、食べるもの、すべてが新鮮で、驚くことばかりでした。それから何十回も海外に行っているのに、この20歳の時のイタリア旅行で体験したことは、他のどの国より今でも鮮明に覚えています。

Roger Wollstadt from Sarasota, Florida, U.S.A., CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons

ローマで滞在したホテルは、スペイン階段の近くにあるピンクの壁の素敵なホテルで、スペイン階段下の通りには、さまざまなショップがあり、どれもこれも高価で、20歳のわたしは、ウインドー・ショッピングしかできませんでしたが、伯母がフェンディのお店に連れて行ってくれて、「ゆっちゃんに、バッグを買ってあげたいの。ゆっちゃんが選んでいいわよ」と言って、わたしに好きなバッグを選ばせてくれました。わたしにとって、初めてのイタリア・ブランドのバッグでした。このフェンディのバッグは、長年大切に大切に使いました。

また、洋服のデザインが素敵なことにも驚きました。イタリアで購入した長めのセーターは、当時の日本にはないデザインで、擦り切れるまで着ました。もう着られなくなったときは、本当に悲しかったです。それから忘れられないのは、フィレンツェの皮製品の工場で購入したなめし皮のバッグと内側に毛糸が張られた皮の手袋です。どちらも皮が柔らかくて、触っては「ああ、気持ちいい」と思っていました。これらもとても気に入ってボロボロになるまで使い込みました。なんでもっと買わなかったかと日本に帰ってきてから後悔したくらい本当にイタリア製の威力を体感しました。

FOTO:FORTEPAN / Ormos Imre Alapítvány, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

ローマで最初に訪れたのは、「フォロ・ロマーノ」でした。丘の上からこの遺跡を見たときの驚きは、生涯忘れることができません。丘の間の低地に大きな柱が何本も立っていて、壮大な雰囲気を感じました。イタリアは「石の文化だ」と心の中で叫びました。次に「コロッセオ」の外観に圧倒され、迷路のような闘技場を見て、ここで剣闘士たちが戦い、それを熱狂していた市民がいたのか、と思うと何か背筋がゾクッとする感覚を覚え、「ここから早く立ち去りたい」という思いに駆られ、足早に外に出てしまいました。

圧巻だったのは、サン・ピエトロ大聖堂でした。広場の大きさに驚き、ミケランジェロの「ピエタ像」の完璧な美しさに圧倒されました。ローマでの体験は、まさに感動の連続でした。

Roger Wollstadt from Sarasota, Florida, U.S.A., CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons

東京では、柔らかく茹でてから油でいためるミート・ソース・スパゲッティかナポリタンした食べたことがありませんでしたので、ローマのレストランでアサリと芯のあるスパゲッティを初めて食べたときは、衝撃的でした。これが、本場のアルデンテに茹でたパスタで「ボンゴレ」という料理であることを後で知りました。そして、さらに驚いたのは、ローマ郊外のレストランでワンタンより厚みのある皮の中に肉やチーズの入った料理を食べた時のことです。今まで見たことも食べたこともない料理でしたが、これもびっくりするくらい美味しくて、後で「ラビオリ」という料理であることを知りました。また、このレストランには、外に洞窟があって、四角い棚には、たくさんのワインが貯蔵されていました。この貯蔵庫は、カタコンベであるということを聞いて、さらに驚きました。

食事を通して、イタリアを深く体感して、帰国したらすっかりイタリアが大好きになっていました。しかし、その後なぜかこの20歳のイタリア旅行以後、35年以上もイタリアを再訪することはありませんでした。そしてイタリア再訪のきっかけになったのは、2010年7月に韓国で開催された乳児のための演劇である「ベビードラマ」の国際シンポジウム(International Symposium in Babydrama Festa)で、ボローニャのラ・バラッカ劇団のロベルト・フラベッティに出会ったことです。(つづく)

こばやし・ゆりこ

東京生まれ。東京学芸大学大学教育学部幼稚園教育教員養成課程卒業・同大学院教育学研究科修了。イースタン・ミシガン大学大学院演劇学研究科子どものためのドラマ/演劇MA・MFAプログラム修了、立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程在学中。専門は、幼児教育、ドラマ/演劇教育、乳幼児・児童演劇、教員養成。20歳のときイタリアにはじめて訪問して以来イタリア文化の虜になる。現在、ラ・バラッカ劇団、イタリアの乳幼児演劇、レッジョ・エミリア市で実践されているドキュメンテーションについて調査・研究中。川村学園女子大学、東京都市大学を経て、現在、明治学院大学心理学部教育発達学科・同大学院心理学研究科教授、東京都市大学名誉教授。主著は、『ドラマ教育入門』(2010)など。



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